イスラムは遠い国の話のようですが、実際に体験しないと分からないことが多々あります。

本から引用されて説明されている記事も多いし、イスラムの友人から聞いた話とかありますが、

世界人口の20パーセントを占める16億人がイスラムといわれますので、

10人から話を聞いてもさっぱり分からないと思います。

実際インドネシアで断食を行う機会が3回くらいありましたので、

経験した事と感じたことを少し書きたいと思います。

ーーイスラムの五行とはイスラム教信者に義務として課せられた行為ーー

★信仰告白(シャハーダ)

★礼拝(サラー)

★喜捨(ザカート)

★断食(サウム)

★巡礼(ハッジ)





喜捨(インドネシア語ではジャカ)はお金持ちがしないといけないとか書いてる人もいたので、

これは誤解です。

断食中に自分より困っている人に対して、皆お米やお金などを配っていました。

やりたい人はやる!

誰に渡そうかと個人個人で考えます。

あの家はご主人が病気で大変とか、子供が多くて大変とか、親を亡くした子供を年金の無い

祖父母が育てているとか・・・。

遠くを探さなくても沢山近所にも居るのです。

しかし、旦那さんと離婚して女手ひとつで子供を3人育てて居る人とか、貰う側でしょう??と、

思いがちですが、自分より大変な人にお米などを配っています。

素晴らしいなーーー!!



政府からではなく毎日顔を合わせている者同士の助け合いですね。

なぜ多くの人が心からこの喜捨をするのか聞いてみました。

簡単に説明すると、「生きている内に喜捨をするとあの世での貯金になる。」と、

教えられているそうです。




日本も年金や母子家庭などに対しての支援制度など無かったときは、

こうしてご近所支えあっていたのかもしれませんね。




お金を持てば持つ程ケチになるとか、地位名声を気にするとか言いますが、

喜捨する側は自分で計算して自分なりにですから、「私からあなたへ幾らあげます。」とかではない

んですね。

誰が幾らあげたとか、貰う側も誰から貰ったとか気にしません。

それはその人からでは無くアッラーからですから。

日本人的には難しい解釈かな?

心からですから!ね!



日本の芸能人の方が被災地などへ寄付して、無記名では出来ない日本では、金額の事や根掘り葉掘り

書かれるのでそれが可哀想だな・・と、感じます。

こっそり寄付はしたいけど税理士さんが税金を安くするためにも、「名前は出して下さい」と、

言うのでしょうね!



日本は「有り難う」をよく言う国です。

「さっきは有り難う」

「昨日は有り難う」・・・。

気持ちの良い言葉です。

しかし、インドネシアではそんな感じではないですので、お礼は言われなくても

気にしないで下さい。




日本の仏教の宗派も200以上と聞きました。


少し前にインド人の友人が夫へこう言ったそうです。

「インドでは仏教徒がすぐ人を殺すんだよ!」

「マジ・・・・・。日本はそんなには・・・マジ??」



国が違えば ada-ada-saja。

「宗教というのは皆心の中にあり信じている事だから、個人的に批判したりしたらダメだよ!」

「詳しく知らないのに非難や否定は人を傷つけるし傷つくから!!」

と、うちのひげもじゃ校長に又言われました。


日本で傷ついたりすることも多いのかな??と、感じました。



今、隣の部屋から「アニータ 顔変わっているよ!!」

コーヒーを飲み甘いお菓子を食べながら、1日の断食を終えた夫からのゴシップ情報!!

「アニータも年とったのよ!!」

「違う!顔が若くなってる!!」だ、そうですwww!



西郷さんのお言葉

★「世路羊腸千里曲 巧名蝸角幾人間」★

読み★「よろようちょうせんりのきょく  こうみょうかかくいくじんのかん」


意味★「名を上げてもそれはカタツムリの角の上のような狭い世界の中のことであり、

つまらないものだ」


ふむふむ、分かりやすい!


いつも読んでいただき有り難うございます。


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今夜は、いいえ今夜もです!

チュミチュミカレー!

おいしい出汁が出て最高に美味しかった。

冷蔵庫の中はイカだらけですから